ヴィンテージ家具販売員について
はじめまして。
ヴィンテージ家具販売サイト “Helvetica” を運営しています、販売員の大西健と申します。よろしくお願いいたします。
数年前からヴィンテージ家具販売員と名乗りはじめました。少し野暮ったい位が私にはピッタリだと感じたからです。ダサいと感じられるネーミングですが、少しでも皆様の印象に残ればとの想いもあり、私にとっては愛着がある名前です。
これまで掲載していた自己紹介文も数年が経ち古くなっていましたので、改めて自己紹介をさせてください。
私は1980年代生まれのアラウンド40。
幼少時代に日本のバブル期を経験したことが頭の片隅にあり、華やかな東京暮らしに憧れをもっていました。高校卒業と同時に新宿にある文化服装学院へ通ったのも、その憧れを叶えるための理由のひとつです。その後、就職する勇気もなく当時暮らしていた曙橋の駅に貼られていたポスターで「セツモードセミナー」の存在を知ります。どうしても通いたくて、1年間、地元に戻りバイトをしながら入学費と生活費を貯めました。
そんなあるとき、「あなたの才能を買うわ!、また東京へ来なさい。」なんて某雑誌の編集長にお声かけをいただき、学生時代の先生にも好意にしていただいたことが幸運の重なりで、憧れだったメゾンでパタンナーのアシスタントの職に就きます。当時を振り返るとお財布にはお金はなかったけれど、貴重で有意義な時間を過ごさせていただいたものです。楽しかったなぁ。機会があればブログでも綴ります。
数年後には東京から地元の福岡へ帰ってきたのですが、東京生活の頃から、インテリア・住まいへの憧れだけは消えずに一緒に持ち帰ってきたのでしょう。熱心にモダン家具について調べていました。
「こんな暮らしがしたいなぁ。あんな家具を自宅で使ってみたかぁ。」(博多弁)
ファション畑から家具売買の世界に足を踏み入れましたので、この世界のお作法も全く分からずに、右往左往。外国から作品を購入する方法も知らなければ、コレクターの方も知りません。ただただ憧れだけ、国内の家具屋巡りの日々を過ごします。
モダン家具というより、椅子に興味を抱いたのは、1994年に美術の授業で見聞きした、ハンス・J・ウェグナーのデザインした “ヴァレットチェア” です。なんでも、その美術の先生の友人はその椅子の中古品を、外国で10万円で手に入れたとか。その先生は嬉しそうに話されていました。その時分の金銭感覚は1万円でも大金ですから、そんな高価なお品が世の中にはあるのか。そう感じたものです。
時代は1995年のイームズブームの前。それから数年が経過した頃に、東京暮らしのこともあり、案の定、私もイームズブームに乗ってしまったわけですが、90年代後半のキラキラしてポップでカラフル。21世紀を迎える前の時代の高揚感。振り返るとなんとも懐かしいものです。
学生時分やアシスタント時代は青山を中心に家具屋巡りと神保町の古書巡り、美術館の梯子が日課でした。というものの、まだまだ家具の売買どころか、当時はお金を貯めては、年に1脚を購入できる経済レベル。可愛いものです。アントチェアを購入し、発送費用をケチって、青山から曙橋まで大切に抱えて歩いたこともあった位です。馬鹿でしょ。今なら絶対にしない行動ですから。笑 (その話はブログに記載しています。ブログはこちら。)
外国家具屋のウェブサイトをチェックしていたのはISDN回線だった90年代の終わりからです。日本国内のヴィンテージ家具屋との販売価格の開きには驚いたもの。「輸入できたら儲かる!」そんな発想も当時の私にはなく、ただただ外国には日本国内では見かけることの出来ない椅子や家具が沢山存在するんだなぁ。と感じていたものです。
「椅子って色々なカタチがあるし、高価なものもありますよね。」私が初めて衝撃を受けたのは、2005年に青山のコルソコモで “ジャン・プルーヴェ展”でみた、スタンダードチェアでした。 椅子1脚のお値段が100万円。値札の付け間違いだと当初は思った程です。しかも売約済み。テーブルだけは売れ残っていたかなぁ。それから、
2008年頃。ネットサーフィン中に、シカゴのwright20やPHILLIPSで、貴重なモダン家具の取扱いをされていることを知ります。ワクワクしました。こんな世界が存在するだって。
その頃からモダン家具に対する見方に変化が生まれたと感じます。
「これは儲かる!」
だけど輸入は経験がありません。出来ません。身銭も沢山はありません。もどかしい日々が過ぎました。そんなある日に、外国へメールを送る友人の姿を目にしました。私も真似して海外のヴィンテージ販売店にメールを送ったことが、ヴィンテージ家具販売員になったキッカケです。
文面には「あなたの売っているテーブルを買いたい。でも買い方が分からない。」
詳細は覚えていないのですが、熱意だけの英文を考えたこと。IBANだの送金口座を教えてもらい、郵便局の方に相談へ行き。居ても立っても居られない時間を過ごしたことは記憶しています。問合せから1ヶ月を経て、注文したジャンフランコ・フラッティー二のネスティングテーブルは届きます。当時の私としてはとても高価な買い物でした。あれ、輸入って意外と出来るかも。そんな自信を得ます。
色々な出来事がありました。偽物を買ってしまったこと。紛失。破損。
海外からの輸入はリスクも付きもの。本当に何も知らないから、思い切って出来たことも数多くあったと思います。これまでに倉俣史朗作品の製造工場へも行きましたし、アーティストの自宅やデザイナーの親族とお会いしたこともあります。念願叶って、wright20やイギリスのクリスティーズへも行きました。
文章を再構成しないと読み辛いですね。
気づけばヴィンテージ家具販売員としての活動も8年が過ぎました。その間にウェブサイト制作や物販の知識などをお師匠に教わりました。私にとっては掛け替えのない経験です。ヴィンテージ家具の売買を通じて、大切な方との出会いや、多くの学び気づきもありました。
2020年。外出も億劫な世の中になりましたが、時期が過ぎたら、「会いたい人へ、行きたい場所へ行き来したい。」そんな想いを描いています。
私の好きな家具は今も昔も変わりません。 “凛としたもの”
大切に扱われてきたものだけが纏う空気は家具やモノも同様、眺めていて飽きない時間があります。
そんな家具は何よりも愛用したい。引き受けたいと考えています。家具も出会いだと考えるからです。
お客様へ販売するアイテムも金額の差に関係なく1点1点大切にお譲りしてきましたし、これからも丁寧に続けていきたい。
私の強みは感性のよさ。唯一褒められることです。自画自賛します。若干ですが、家具文脈もなんとなく当たったりします。しかしながら商売っ気がないせいか、欲張らずにこれまでは歩いてきました。
自分自身が大きくなるためにも、より多くの価値ある作品を繋げていくためにも、成長したいと考えています。まだまだ道半ばです。一生懸命に力強く歩いて行きたい。
物欲の時代ではないよ。なんて占いの本には紹介されていますが、よいもの。よい品。トップピースに触れ始めていると、そこは緊張感と興味のワールド。たまりません。
まだまだ出会えていない方々とインターネットを通じて、モノを通じて知り合えたらと願っています。
今後ともご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
I like to look at "things".
My favorite moment is meeting people through "things".
I basically am working as a plumber.
And I sell furniture ( based on my collection ) , am also a tailor.
Thanks!!