天国へは持っていけないけれど:ものを所有することの意味と価値
ものを極力持たず、シンプルな暮らしを心がける方も多いですが、私の場合は商売柄、どうしてもある程度のものを所有せざるを得ません
第三者の視点になって想像したとき、住空間を整えること清潔さを保ちながら、ときにお気に入りのモノを飾ることの豊かさについて考えてみました
天国へは、何一つ持っていくことはできない
たしかにその通りです、天国へは、何一つ持っていくことはできません。この世でどれだけの財産や物を手に入れても、最後の瞬間には全てを手放さなければならない。
ものを所有することが愚かなことなのか
ものを所有することが愚かなことだとは一概には言えません。所有する物には、その人の思い出や価値観が詰まっていることも多く、心の豊かさを育む一助となります。しかし、物に執着しすぎると、本当に大切なことを見失うこともあります。重要なのは、物を持つこと自体ではなく、それが自分の生活や心にどれだけ意味を持ち、どのように役立つかを見極めることだと考えます。
私の場合は、間借りしている倉庫も、これから先、無作為に商品を集め続けると、保管に加えて管理コストも増えてしまいます。発送のたびに商品をピックアップするのも手間がかかり、管理コストは避けられません。
私には価値が上がるもの、触れるべきお品物がわかりますが、50年後を見据えて売り抜けることを考えても、その時には得た利益を使うあてもなく、私自身もいないでしょうから、今後の商品選定には慎重さが求められます。同時に、存命作家を追う面白さや重要性も感じていますが、同年代の作品が資産価値を大幅に伸ばすかどうかは不確かです。
住空間に最低限必要な家具について
住空間に最低限必要な家具は、基本的な生活を快適に送るための必需品、ベット、テーブル、椅子、収納家具、照明。そう考えると、本当にシンプルです。座卓を好む場合は、椅子は不要です、洋服も最低限にすることで、収納家具も少なくて済みそうです。
株や証券よりも、物に投資した方がよいのかも
利回り4%で運用できたとしても、少額のうちなら、希少性のあるものに投資した方が、利回りは大きことが多々あります。
俗に1000万円以下の資産運用で、年齢が40歳未満でしたら、ものへ投資しておいたほうが、寝かせておく時間もありますので、実は投資として魅力的な面もありそうです、一番の投資は自分自身ということは言うまでもありません
資産性のあるものを買い集めるべきか否か
私はそうは考えません、発想が窮屈になってしまいます、居住空間を魅力的にするためには対比が必要だと考えています、しかし余計なものにお金を払うことも部屋に置くことも好みません
人それぞれの価値観に委ねられるところ
たしかにその通りです、何が正解で不正解なんてありません、争う必要もないですし、議論すら不要です
どれも正解ですから
家具って本当に資産価値として機能するのかということ
資産価値は確かにあると思います、ただ多くの場合は、どこで手に入れたのかが重要になります、店舗で購入された場合は、買った瞬間に金銭的価値は目減りすることが一般的ですし、現物をリセールするには手間も大きいです、今後は世界の市場に目を向けていかなければ最大のリターンを期待することは難しいと予測します
とはいえ、10年先に価値が爆発的に伸びるものを買い揃えてたとしても、その間にキャッシュが尽きる可能性もあります。そう考えると、手当たり次第にお金になるものを買いまくる選択肢も浮かびますが、やはりものを増やすのは億劫な自分がいます
隣の芝は本当に青く見えるものです
価値と価格が見合っていないものは、ネットにも路面にも沢山転がっており、東京や大阪など国内を歩き回るたびにそれを強く感じます
地方都市に行くともっと見える世界があると実は考えています
時には愚痴っぽくなってしまいますが、ここでお伝えしたいのは、「ものを所有する豊かさ」についてです
シンプルで物を持たない暮らしが流行していますが、良いもの、価値あるものを手元に置き、それを大切にすることが、豊かな暮らしを実現する鍵だと私は信じています。ものには、単なる物理的な存在を超えた価値があり、それを所有することは、心の豊かさにつながると考えます
結局は人生観によるもの
旅行やレジャーを楽しむ人にとって、人生は常に動的で、未知への探求が続きます。彼らは新しい経験から得られる学びや感動を糧に生きており、その過程で自分自身を広げていくことに喜びを見出します
一方で、部屋にお気に入りの品物を飾り、日常の中に豊かさを感じる人にとって、人生は静的でありながらも深みがあります。彼らは物との関係を通じて、自分自身の内面と向き合い、安定した幸福感を追求します
どちらの生き方も、豊かさや満足感を得るための一つのアプローチであり、最終的にはそれぞれの価値観やライフスタイルに応じた選択となります。どちらが優れているというわけではなく、それぞれが自分の人生を最大限に楽しむ方法を見つけていると言えそうです