
湖のかたち、では語れない ― アアルトの花器に寄せて
ブログには、ふたつの種類があります。
目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。
― アアルトの花器に寄せて
湿った空気。
濡れたガラス。
にじむように広がる輪郭。
この花器に触れたとき、私はそんな感覚を思い出した。
「湖のかたちですね」と言われることがある。
アアルトの花器を前にしたとき、人はそう語りたくなるらしい。
けれど、それは“解説”であって、“理由”ではない。
私がこの花器に惹かれたのは、その説明の“手前”にある気配のせいだ。
乳白色のガラス。
職人の息と、木の抵抗と、熱の一瞬が生んだ輪郭。
揺らぎは、目で見る前に、空気として伝わってくる。
名づけられる前の、美しさ。
言葉にすれば消えてしまうような、曖昧な輪郭。
それが、そこに在る。
この花器は、花がなくても成立する。
空のまま置かれているだけで、空間に重心が生まれる。
まるで静物画のように、ただ「そこに在る」ことの強度。
暮らしのなかに、音のない時間が流れている人なら、きっとわかる。
この花器が語るのは、「使い道」ではなく、「気配」だ。
...
ガラスでありながら、石のような重さを感じさせる曲線。
もう簡単にはつくれないかたち。
この曲線には、名もなき職人たちの時間と手が、確かに刻まれている。
ものを選ぶとき、
私は「理由」ではなく、「理由にならない何か」に耳を澄ませたい。
アアルトの花器は、まさにその象徴だった。
だから、残したいと思った。
湿りとにじみ――
その向こうにある、名づけられない輪郭に。
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