
選品手帖|熱が残したかたち ― BRUTUS No.201「デザインの現在と未来」(1989年4月15日号)
ブログには、ふたつの種類があります。
目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。
エフェメラとしての雑誌
雑誌は、三日で古びる。
けれど三十年経つと、価値を持ちはじめる。
本来はエフェメラ──刹那的に消費され、役目を終える存在。
新しい号が出れば古いものは棚から消え、時代の速度に置き去りにされる。
しかし時が経つにつれ、その紙面には「時代の熱」が焼き付いていることに気づく。
十年後には懐かしさとなり、三十年後には市場で再評価されることも少なくない。
広告すらも価値へ
当時は邪魔に思えた広告ページでさえ、今読むと愛おしい。
そこには社会が欲していたイメージ、流通していたブランド、
街の空気までもが静かに封じ込められている。
雑誌は、廃棄されればただの紙。
けれど残れば、文化の痕跡となる。
1989年、BRUTUSが描いた未来
1989年4月15日刊行『BRUTUS No.201』。
特集は「デザインの現在と未来」。
倉俣史朗、ガエターノ・ペッシェ、マッシモ・イオザ・ギーニ、
そしてヴィトラ・エディション。
ポストモダンの熱気が凝縮された一冊である。
当時の発行部数は数十万部規模だったが、
いま残る号は少なく、資料としての価値を帯びはじめている。
紙の存在意義
コンビニに並ぶ雑誌の量は、いまやかつての三分の一。
誌面は薄く、文字は大きくなり、情報誌はフリーペーパーに近づいている。
情報の速さではインターネットに敵わない。
それでも紙には、時代を焼き付ける力がある。
雑誌は、燃え尽きたはずの熱を静かに抱え続けている。
迎える理由
この号を手にすることは、
1989年の熱に、もう一度指先で触れること。
倉俣史朗をはじめとするデザイナーたちが「未来」を語った声を、
いまに引き戻すこと。
興味を持たれた方へ、こちらに詳細を残しています。
この号をめくると、1989年の熱がまだ静かに息づいている。
未来を語った声が、紙の奥から立ち上がってくる。
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