
熱が残したかたち。|イサム・ノグチ《Knifefork》を扱ってきた記録
熱が残したかたち。
イサム・ノグチのカトラリー《Knifefork》を、これまでに十数点扱ってきました。
近年は市場で出会うことも少なくなり、本当に眼にする機会が減っています。
一見すればスプーンやフォークといった日用品。
けれど、ノグチが優先したのは「実用性」ではなく「カタチそのものの美しさ」でした。
使いやすさよりも造形が先にあるプロダクト。
その線は彫刻の延長として生まれ、生活の中で静かに異質な存在感を放っています。
最初に出会ったとき、その不思議なバランスに戸惑いながらも、
どうしても仕入れずにはいられませんでした。
二度と扱うまいと考える品も多い中で、
このプロダクトは、やはり仕入れてしまう。
造形に宿った熱が、時を経てもなお冷めることなく、
手に取る者を惹きつけるからです。
ノグチは、生涯を通して「彫刻と生活を結ぶ」ことを試み続けました。
《Knifefork》もまた、実用に寄り添いながら、
それ以上に造形の純度を示す作品といえます。
私にとって、この十数点の仕入れと販売の記録こそが、
商いにおける「熱が残したかたち」なのかもしれません。
モノに宿った熱を拾い上げ、次へと渡していく。
その往復の中に、選品舎としての商いが静かに続いていきます。
この記事について
本記事は、選品舎/Helvetica を運営する大西健が執筆しています。
ヴィンテージ家具・古書の選品、販売、記録を通じて、
「残るもの/残らないもの」の判断基準を実務の中で整理しています。










