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記事: コンラン展で感じた虚しさ──消費のための展示に問いを投げる

コンラン展で感じた虚しさ──消費のための展示に問いを投げる

コンラン展で感じた虚しさ──消費のための展示に問いを投げる

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コンラン展で、立ち尽くした理由

美術館に行った。静かな空間。整った展示。導線も音も空気も、完璧だった。

なのに、途中で息が詰まった。

「これは、美術館でやるべき展示なのか?」

見ていたはずが、測られていた。選ばされていた。消費の気配が、静かに漂っていた。


最後に待っていたのは、売場だった

展示の終わり、案内されたのは限定物販。図録、バッグ、プロダクト。

そこだけが、人で溢れていた。

空間が、買わせにきていた。

私は立ち止まった。 「ああ、これが目的だったのか」と思った瞬間、何もかもが軽くなった。薄くなった。


これは「追悼」じゃなかった。「ブランドの演出に過ぎなかった」

コンランは偉大だった。暮らしを変えた。でもこの展示は、思想の展示ではなく、マーケットの舞台だった。

・SNS映えする撮影ポイント ・ここでしか買えないと謳う図録 ・バズらせるための導線

全部、設計されていた。すごい。でも、浅い。

展示じゃなくて、販促だった。


好きだから、がっかりした

私はコンランショップが好きだ。何度でも通いたくなる。空気感、選び方、温度。

でも今回の展示は、“その好き”を、冷めさせる何かがあった。

思想が感じられなかった。 問いが返ってこなかった。 「これはどう思う?」という空間ではなく、「これがいいでしょ?」という提示だった。

私は、そういう“完成された正解”には、興味がない。


疲れたのは、問いがないからだった

考えても、何も返ってこない。 展示を見ているのに、見させられている気がした。

沈黙が深くなるのではなく、薄くなる。

それが、この展示の本質だった。



売れていた。成功していた。だからこそ、何も残らなかった

図録は売れていた。 人々は笑顔だった。 たぶん、展示としては正解だったのだろう。

でも私は、あの空間から何も持ち帰れなかった。 美しさだけが置いてあって、中身は抜けていた。

そう思った時点で、この展示はもう「展示」ではなかった。 ただの構築物。プロモーション。


私は、売りたくないものがある

売れてしまうものよりも、残るものを選びたい。 選品舎は、そういう店でありたい。

商品はただのモノじゃない。 「問いのきっかけ」であってほしい。

その問いに耐えられないものは、たとえ売れても選ばない。


もう一度、自分に問う

私は、何を売りたくないのか。 展示をつくるなら、何を残すのか。 体験のあとに、何が沈殿していてほしいのか。

コンラン展は、ある意味成功していた。けれど私には、それ以上の問いを残した。

そして、たしかに思った。

美しいだけでは、もう足りない。


問いのない展示に、私は疲れる。

問いがある空間を、自分でつくる。 それが選品舎の役目だ。


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