
「家具に出口戦略はない──それでも、価値は残る」
ブログには、ふたつの種類があります。
目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。
家具は投資になる──そう語る声がある。 だが、出口戦略のない投資は、ただの願望だ。
この10年、家具を売り買いするだけでなく、思想として向き合ってきた立場から言う。 家具に明確な出口戦略は、存在しない。 だが、それでも価値は残る。そう断言できる根拠がある。
家具を投資として語る人々
一部のメディアやSNSでは「家具も資産になる」「今のうちに買えば高く売れる」といった言説が散見される。 だが、そこで語られているのはいつも“入口”だ。 「どこで買うか」「何を選ぶか」「どれだけ希少か」
しかし本当の勝負は、“出口”にある。
家具の売却インフラは、存在しない
時計には専門店があり、車には査定ネットワークがある。 アートにはギャラリーとオークションの流通が整っている。
だが家具にはそれがない。
高額家具を一般人が売るためには、ヤフオクかメルカリという消費者間取引しか残されていない。 オークションハウスに持ち込む? その壁は高すぎる。 言語の壁、選定の壁、送料と手数料、そして“そもそも出せるかどうか”という審査の壁。
結果、「売る道筋」が描けないまま、所有者たちは困惑する。
「買い戻し」を販売店に求めるリスク
──10万円で買った家具。 相場が高騰し、今は50万円になっている。 「20万円で買い戻してくれませんか? 市場なら30万儲かりますよ」
これは、遺恨しか生まない。
販売店からすれば、なぜ中古を高値で買い戻さなければならないのか。 相場を理由に恩着せがましく言われる筋合いはない。
買い手の論理と、売り手の現実。 そこには冷たい溝が横たわる。
結局、価値を知らない人間に渡っていく
最終的に何が起きるか?
家具の持ち主が亡くなり、価値を知らない相続人の手に渡る。 その家具は処分されるか、リサイクルショップに流れ込む。
いま、日本全国のリサイクル店には、 90年代のイタリアンモダン、北欧のデザインチェア、 無名だが質の高いアノニマスな椅子たちがひっそり並んでいる。
価値はある。 だが“伝わらないまま流通している”。
それでも、ニトリとは違う
ここまで否定的な構造を語ってきたが、はっきりさせておきたい。 ニトリの家具とは違う。
価値がゼロになることはない。
希少性、造形、背景、作家性── そういった要素が積み重なった家具は、確実にお金になる。 そして一部の高額商品は、税務署も“資産”として注視している。
購入時に目減りする家具もある。 だが、そうでないものもある。 その“違い”を見極められる者だけが、次の世界に進める。
90年代の波と、いま訪れている所有者交代期
1990年代、日本には世界中から家具が輸入された。 アノニマスな椅子から、ミースやパントン、クラマタの作品まで。 それらは邸宅やアトリエで過ごし、いま── 所有者交代のタイミングを迎えている。
一気に市場へ放出される家具たち。 でも、それを拾い上げるには、視座が要る。
ただの買い手ではなく、次の持ち主へ繋げる選品者が問われている。
結論:家具に出口戦略はない。
家具は、投資商品ではない。 戦略ではなく、思想と文脈で価値が残るものだ。
それでも、出口なき世界のなかで、 目利きが、選品が、つなぐ意志が、未来を変えていく。
これを読んでいるあなたが、どちらの側に立つかは自由だ。 ただ、目の前にある椅子が、“ただの椅子じゃない”としたら── それを見抜く視座を持てるかどうかで、未来は変わる。
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