所有ではなく、循環のために ― 選品舎の思想
モノは、ただの「商品」ではないと思う。
次の行き先を選び、自らの物語を継いでいく存在。
だから私は、その流れを「所有」ではなく「循環」として見つめています。
市場のざわめき。競り人の声。
ガムテープを剥がす音、段ボールから漂う紙の匂い。
背表紙をなぞる指先に、かすかな埃のざらつきが残ります。
その一瞬一瞬が、モノと人との出会いを刻んでいく。
あるものは、私の手を離れてすぐに次の場所へ向かいます。
あるものは長く眠り、数年後に再び舞台に現れる。
その価値は時に跳ね上がり、二十倍という値をつけられることもある。
けれど私は、それを「失った」とは思いません。
むしろ「選ばれた」と考えています。
本が、椅子が、器が。
人を選び、空間を選び、時代を選ぶ。
モノは人間の都合だけで動くのではない。
自らの意志のようなものに導かれて、次の行き先を探しているのです。
モノは人の所有物ではなく、旅を続ける存在である。
私たちは、その途中に立ち会うだけ。
だからこそ、価格の高低は本質ではありません。
一万円であっても、二十万円であっても、
「渡っていった」という事実そのものが意味を持つ。
そこにこそ、美しさが宿ると考えます。
選品舎は、この考えに立っています。
流行や一時の熱狂に従うのではなく、
流れを超えて残るものを選び、
次の行き先へと静かに橋をかける。
だから販売済みの商品も記録に残します。
アーカイブとして未来に引き渡すために。
それは単なる商いではなく、モノの旅路を可視化する試みです。
私たちは商いの名を借りながら、
実のところ「循環を記録する仕事」をしているのかもしれません。
市場で耳にする声。
箱を開けるときの匂い。
背表紙をなぞる手の感覚。
それらの記憶のすべてが、モノと人との関わりを物語っています。
所有のためではなく、循環のために。
未来の誰かが「モノの流れ」を読み解けるように。
私はその地図を、静かに描き残していきたい。