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記事: 一人暮らしは40㎡でいい。モノを選び、好きなものと暮らすということ

一人暮らしは40㎡でいい。モノを選び、好きなものと暮らすということ

一人暮らしは40㎡でいい。モノを選び、好きなものと暮らすということ

「モノよりコトにお金を使ったほうがいい」

そんな言葉を、いつからかよく聞くようになりました。

モノを所有することよりも、旅行をしたり、美味しいものを食べたり、誰かと過ごしたりする経験にお金を使う。そのほうが人生は豊かになる。

たしかに、そうなのかもしれません。

ただ私は、この考え方を人生の正解として言い切ることには、少し違和感があります。

なぜなら私はまだ、老いるということを知らないからです。

身体が思うように動かなくなったとき。遠くへ出かけることが億劫になったとき。家で過ごす時間が今よりずっと長くなったとき。

若い頃にもっと旅行をしておけばよかったと思うのか。

それとも、長い時間を過ごす自分の部屋を、もっと大切につくっておけばよかったと思うのか。

そのときにならなければ、私には分かりません。

だから、モノかコトか。

どちらかを正解にしてしまう必要はないと思っています。



モノは、本当に「モノ」でしかないのだろうか

私はどちらかといえば、モノにお金を使ってきた人間です。

特に椅子が好きで、これまで多くの椅子を見て、買って、使ってきました。

椅子の世界では、ときどきこんな話があります。

「良い椅子は、初任給の三か月分くらい出して買ってもいい」

あるいは、

「良い家具は、何世代にもわたって受け継ぐことができる」

私は後者については、それほど共感していません。

何世代も先のことなど、正直なところ想像できないからです。

自分自身に置き換えて考えても、祖父が使っていた椅子だからという理由だけで、その椅子を使いたいとは思いません。

受け継ぐことを前提にモノを買う必要はない。

けれど、自分が生きている間に長く使うものには、早くお金を使ってもいいと思っています。

二十年使う椅子なら、五十歳で買うより三十歳で買ったほうが、その椅子と過ごせる時間は長い。

日割りにすればいくら、月額にすればいくら、という話をしたいわけではありません。

もっと単純に、好きな椅子に座った回数が増えるということです。

朝、好きな音楽を流す。

気に入った椅子に座って食事をする。

夜になれば、好きな照明を灯す。

本棚から本を取り出して読む。

服を選んで外へ出る。

そう考えていくと、モノとコトは、本当に別々のものなのだろうかと思います。

旅行は経験で、椅子は所有。

食事は経験で、照明は所有。

そんなふうにきれいに分けられるものでもない。

気に入ったモノを所有することは、そのモノを通して、同じ小さな経験を何度も繰り返すことでもあります。

良い椅子を買うことは、椅子を一脚所有することではなく、その椅子に座るこれからの時間を買うことなのかもしれません。

安いものが買える時代に、あえて選ぶ

今は家具も服も生活用品も、驚くほど安く買えるようになりました。

安いこと自体を否定するつもりはありません。

値段が安くても、大切にできるものはあると思います。

ただ私自身は、造形が美しいものや、誰かが時間をかけて考えたものに惹かれます。

そうすると、椅子一脚でも、それなりの金額になることがあります。

それでも買うのは、高価なものを所有したいからではありません。

毎日見るものだからです。

毎日触れるものだからです。

何年も使う可能性があるものだからです。

人生の中で一度しか見ないものより、毎日目に入るものを大切にしたい。

私はそういうお金の使い方をしてきました。

モノさえ選べば、値崩れしない

そして、これは賛否が分かれると思いますが、私はこう考えています。

モノさえ選べば、値崩れしない。

もちろん、今日10万円で買ったものが、明日必ず10万円で売れるという意味ではありません。

株や債券、ゴールドのような流動性があるわけでもない。

売る場所によっても値段は違います。

自分でヤフオクやメルカリなどを使って売るのか、誰かに仲介してもらうのかでも、手元に残る金額は変わります。

出口は考える必要があります。

それでも私は、これまで家具や本を扱ってきて、本当に選ばれたものには市場が残ると考えています。

珍しいものには、それを探している人がいる。

国内に買い手がいなければ、海外にいることもある。

さらに希少なものになれば、海外のオークションハウスまで市場はつながっています。

ただ古いから価値があるわけではない。

ヴィンテージだから値上がりするわけでもない。

有名なデザイナーの名前が付いていれば何でもいいわけでもない。

何を選ぶのか。

どの価格で買うのか。

状態はどうなのか。

そして、どこで手放すのか。

そこには目利きが必要です。

だから私は、「ヴィンテージ家具は投資になる」と言いたいわけではありません。

選ぶことのできる人にとって、モノは使って終わるだけの消費物ではない。

使って、楽しんで、それでも価値が残るものがある。

これは私がモノを選ぶときに、大切にしている考え方の一つです。

広ければ、豊かなのだろうか

そして最近、住まいについてよく考えています。

不動産として考えれば、70㎡くらいの広さがあったほうがいい、という考え方もあります。

家族構成の変化にも対応しやすいし、売却するときのことを考えれば、広さには広さの価値があります。

それは分かります。

ただ、私は最近、一人で暮らすなら40㎡くらいでいいのではないかと思っています。

これは理論から導き出した数字ではありません。

これまで実際に暮らしてきた、自分自身の感覚です。

座して半畳、寝て一畳。

昔から好きな言葉です。

もちろん、本当に一畳だけで生活したいわけではありません。

ベッドがいる。

椅子がいる。

テーブルがいる。

照明がいる。

服があり、本があり、音楽がある。

それらを置くための余白も必要です。

だから、必要最低限ではない。

私が求めているのは、たぶん必要十分なのだと思います。

広くなると、人は空間を埋め始める

広い家には、もちろん魅力があります。

ただ、私自身のことを考えると、空間が広くなれば、そこを埋めようとしてしまいます。

ここにはもう一脚、椅子が置ける。

ここには大きな棚が置ける。

せっかく一部屋余っているから書斎にしよう。

そして、書斎をつくれば、そこに置く机が欲しくなる。

机を買えば、照明が欲しくなる。

棚があれば、本を入れたくなる。

空間が所有を呼び、所有がさらに空間を必要とする。

もちろん、それを楽しむ人生もあると思います。

ただ今の私は、逆の方向を考えています。

広さに合わせてモノを増やすのではなく、本当に必要なものを選び抜き、それが気持ちよく収まる広さで暮らす。

その数字が、今のところ40㎡くらいです。

減らすのではなく、入れ替えていく

これは、いわゆるミニマリズムとも少し違います。

私はモノが好きです。

本も家具も服も好きです。

だから、何も持たない生活をしたいわけではありません。

むしろ逆です。

少なくすることより、好きなものの密度を上げていきたい。

椅子を一脚持っている。

もっと自分に合った椅子に出会ったら、入れ替える。

照明も、服も、本も同じです。

所有物を際限なく足していくのではなく、ときどき見直しながらアップグレードしていく。

40㎡という限られた空間であれば、何を残すかを考えざるを得ません。

これは窮屈さではなく、むしろ判断するための枠なのだと思います。

身体が変われば、良いモノも変わる

そして、モノを一生使うことに、それほど執着する必要もないと思っています。

人間の身体は変わるからです。

若い頃には心地よかった低い椅子も、年齢を重ねれば立ち上がりづらくなるかもしれません。

そのときには、座面が少し高い椅子のほうがいい。

アームがあったほうが、身体を支えて立ち上がりやすいかもしれない。

腰を痛めれば、それまで気にしていなかった機能が急に重要になることもあります。

二十代の自分にとって最高だった椅子が、七十代の自分にも最高だとは限らない。

だから、「一生もの」という言葉にも、私は少し距離を置いています。

大切なのは、同じものを死ぬまで持ち続けることではない。

その時々の自分にとって必要なものを選び、それを大切に使い、必要がなくなれば次へ渡す。

そして、また選ぶ。

それでいいと思っています。

最後まで何を大切にするのか

私はまだ、老いを知りません。

だから、人生の最後に何が残っていれば幸せなのかも分かりません。

若い頃に行った旅行の記憶なのかもしれない。

家族や友人との時間なのかもしれない。

あるいは、自分で選んだ椅子に座り、好きな音楽を聴きながら過ごす、ごく普通の午後なのかもしれない。

だから、モノかコトかという問いに、今の私は答えを出しません。

ただ一つ言えるのは、私たちの人生の多くは、特別な日ではなく、何でもない日の繰り返しでできているということです。

朝起きる。

服を着る。

椅子に座る。

食事をする。

音楽を聴く。

本を読む。

照明を消して眠る。

旅行に出かけていない日にも、人生は進んでいます。

だから私は、その何でもない時間をつくっているモノを、もう少し大切に考えてもいいと思っています。

たくさん持つ必要はない。

何世代も残す必要もない。

高価である必要さえ、本当はない。

ただ、自分が好きだと思えること。

できれば、美しいと思えること。

使う理由があること。

そして、自分の手に負えるだけの量であること。

座して半畳、寝て一畳。

それだけでは少し足りないから、

好きな椅子を一脚置く。

夜をつくる照明を一つ置く。

読み返したい本を残す。

着たい服を掛ける。

眠るためのベッドを置く。

そして、それらの間に少しだけ余白を残す。

今の私には、そのための広さが40㎡くらいなのではないかと思っています。

これから考え方が変わるかもしれません。

身体も変わるでしょう。

必要なものも変わります。

そのときには、また選び直せばいい。

住まいも、家具も、服も、本も。

人生そのものを一度で完成させる必要はありません。

選んで、使って、手放して、また選ぶ。

私は今のところ、そんなふうに暮らしていくのがいいと思っています。


この記事について

本記事は、選品舎/Helvetica を運営する大西健が執筆しています。
ヴィンテージ家具・古書の選品、販売、記録を通じて、
「残るもの/残らないもの」の判断基準を実務の中で整理しています。


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