記事: 選品とは、物の続きを託すこと|ヴィンテージ家具・古書を売るということ

選品とは、物の続きを託すこと|ヴィンテージ家具・古書を売るということ
物を売ることは、所有権を移すことだけではない。
少なくとも、私はそう思っていない。
目次
売ったあとの時間を、案外よく覚えている
物を売ったあと、その人がそれをどう使っているのか。私はそれを、案外よく覚えている。
買ってすぐに転売されたこともあれば、届いた家具や本を暮らしの中で大切にしている写真を、送っていただいたこともある。
どちらの光景も、記憶に残っている。
もちろん、一度手渡した物は、その人のものだ。
数年が経てば、暮らしが変わり、手放すこともある。
引っ越し、家族構成の変化、仕事、年齢——人の生活は変わり、物もまた、同じ場所にとどまり続けるとは限らない。
だから、手放すこと自体を悪いとは思わない。
寂しくなるのは、利益の話ではない
ただ、買った直後に、何の時間も置かれず、値段だけが付け替えられて流れていく。そういう姿を見ると、やはり寂しくなる。
それは、利益を取られたからではない。
その物に自分が見ていたもの。それが誰にも受け取られないまま通り過ぎていった——そう感じるからだ。
仕入れるとき、私は物だけを見ているわけではない。
誰がつくったのか。なぜこの形になったのか。どの時代に生まれ、どんな場所で使われてきたのか。そして、この先どこへ行くのか。
本を選ぶときも、家具を選ぶときも、最後に考えているのは、まだ見えない次の持ち主のことだ。
この人なら、この良さを感じ取ってくれるかもしれない。この暮らしなら、無理なく残っていくかもしれない、と。
パスには、意図が込められている
以前、サッカー選手がパスについて話しているのを聞いた。
ただ相手の足元へボールを送るのではなく、次にどんなプレーをしてほしいのか。その意図まで込めてパスを出すのだという。
その話は、自分の仕事に似ていると思った。
物を選び、言葉を添え、写真を撮り、価格を決める。
その一つずつに、これをただ消費されるものとしてではなく、次の時間へ渡したいという気持ちがある。
売る側が、購入後の使い方まで決めることはできない。それは違うと思う。
ただ、誰にでも同じように渡しているわけでもない。
もっとも、選品は相手の次の動きを決めることではない。もっと静かなものだ。
こう使ってほしい、こう暮らしてほしいと指示したいわけではない。
ただ、この物の続きを、あなたに託します。
そのくらいの感覚に近い。
写真が届いて、ようやく取引が終わる
届いた物を置いた部屋の写真を、送っていただくことがある。
そこには、販売したときには見えていなかった時間が写っている。
本が棚に収まり、椅子が窓辺に置かれ、照明が夜の部屋を照らしている。
その景色を見ると、物がようやく次の場所にたどり着いたのだと思う。
売上としては、その時点ですでに終わっている。
けれど、こちらの中では、その写真を見て初めて取引が完了する感覚がある。
商いは、数字で成り立っている。
仕入れがあり、利益があり、回転がある。それを無視して続けることはできない。
それでも、数字だけで物を動かしているわけではない。
物には、それが過ごしてきた時間があり、渡したあとにも、こちらの知らない時間が続いていく。
選品するということは、良い物を見つけることだけではない。
それを、どのように次へ渡すのか。どんな言葉を添えるのか。誰の暮らしへ送り出すのか。
そこまで含めて、選ぶということなのだと思う。
物を扱いながら、見ているのは物だけではない。
その向こうにある時間や、まだ知らない人の暮らしまで含めて、私は今日も一つずつ選んでいる。
この記事について
本記事は、選品舎/Helvetica を運営する大西健が執筆しています。
ヴィンテージ家具・古書の選品、販売、記録を通じて、
「残るもの/残らないもの」の判断基準を実務の中で整理しています。









