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記事: 雑誌を売るという、ささやかな営みについて

雑誌を売るという、ささやかな営みについて

雑誌を売るという、ささやかな営みについて

ブログには、ふたつの種類があります。
目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。

コンビニで立ち読みをしなくなって、もう20年以上が経つ。
最近ふと立ち寄った際に、久しぶりに雑誌コーナーを見た。

かつてのあの密度はもうなく、棚そのものが小さくなっていたのは前から知っていたが、
手に取った雑誌が、想像以上に「薄く」なっていたことに驚いた。

雑誌が薄くなったという事実

昔の雑誌は、広告ばかりで読むところが少ない、なんて思っていた。
けれど、今あらためて比べると、その「広告で埋まっていた誌面」ですら、
いまの雑誌よりもはるかに“情報”があった。

たとえば、賃貸情報誌。
昔なら細かな物件情報が並び、文字だらけの誌面だったものが、
今では大きな文字と余白が目立ち、同じ情報量なら10ページで終わるのでは?というスカスカ感すらある。

それは単なる紙面構成の変化ではない。
「雑誌」という媒体そのものの構造が、静かに終わりつつあることを意味している。

それでも、売りつづける理由

そんな中で、古い雑誌を扱うことには、正直迷いもある。
一冊ずつ仕入れ、調べ、撮り、登録し、発送する。
労力のわりに、利益は薄い。はっきり言って「割に合わない」。

それでも、続けてきた。

なぜか?

見方を変えれば、「意味」が変わる

たとえば、その雑誌は「収納」特集として刊行されたかもしれない。
でも、ページをめくると、空間の使い方、写真のトーン、家具の選び方……
それは「〇〇特集号」として再解釈できる可能性を秘めている。

雑誌は、切り口を変えれば“再定義”できる媒体だ。

一過性のコンテンツだったものが、
見立てと編集の力で、今ふたたび息を吹き返すことがある。

「記録」としての選品

仕入れの現場では、価値の明確なものばかりを扱えるわけではない。
でも、そうした「不明瞭な一冊」の中にこそ、編集者の思想や文化の断片が残っていることがある。

ページの端に残る空気。
写真の質感。
手書きの間取り図。
いまの雑誌ではもう出会えない、ひとつの「時代の構造」がそこにある。

まとめ:商売と思想のあいだで

雑誌を売ることは、商売としては効率的ではない。
けれど、雑誌を“記録”として扱うことは、選品舎にとってひとつの思想である。

この場所では、ただ古い雑誌を並べるのではなく、
今読む意味がある号、あるいは別の見方ができる号を、静かに残していきたい。

変わってしまったものの姿を通じて、残すべきものを考える。
そのために、今日も一冊を手に取ってみる。


この投稿は…

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