手に取った瞬間、視線が止まるものがあります。
機能だけで説明できるわけではなく、装飾だけで惹かれるわけでもない。 どこかに、作り手の思考が残っている。 だから、目が留まり、手が伸びる。
今回紹介するのは、建築家・六角鬼丈氏がデザインしたカップ&ソーサーです。
「12人の建築家 小さな建築」シリーズの一作として生まれたプロダクトで、 建築家が器を設計し、誰かに贈るという物語を持っています。
建築家が器をつくるということ
建築家が家具や器をデザインすることは、決して珍しいことではありません。
ただし、そこに建築家の思考がどれだけ残っているかは、 ものによって大きく異なります。
単に名前が付いているだけのものもあれば、 その人の建築観が、縮尺を変えて宿っているものもある。
このカップ&ソーサーは、後者に近いものだと思います。
器として見ることもできます。 けれど、実際に手に取ると、それだけでは収まりません。
内部に立ち上がる有機的な壁面。
持ち手と一体化したような流れる形状。
真円でありながら、どこか不安定さを含んだ輪郭。
それは、飲み物を受け止めるための器でありながら、 小さな建築物を眺めている感覚に近いものです。
六角鬼丈氏らしさについて
六角鬼丈氏の建築は、一度見ると記憶に残ります。
私自身、金光教福岡高宮教会を訪ねたとき、 その造形には強い印象を受けました。
合理性だけでは説明しきれない形。
けれど、単なる奇抜さでもない。
建築という大きな構造物の中に、 緊張感と有機性が同居している。
このカップにも、その気配があります。
小さな白磁の器でありながら、形の中にただならぬ圧がある。 日用品として穏やかに置かれる一方で、 ふとした瞬間に視線を引き戻す。
使うためのもの。
同時に、眺めるためのもの。
その両方を備えたプロダクトです。
「小さな建築」としての器
建築を所有することは、簡単ではありません。
実際の建築作品は、その土地、その構造、その時間と結びついています。 個人が気軽に迎え入れられるものではありません。
けれど、建築家の思考に触れることはできます。
本を読むこと。
写真を見ること。
図面を眺めること。
そして、建築家が設計したプロダクトを手に取ること。
このカップ&ソーサーは、その入口になるものです。
コーヒーや紅茶を飲むための道具として使うこともできる。 書棚のそばに置き、小さなオブジェとして眺めることもできる。
建築を所有するのではなく、
建築家の思考を日常の中に迎える。
この一客には、そうした魅力があります。
目に留まるものは、どこかで待っている
ものを選ぶとき、最初に働くのは理屈ではないことがあります。
目で見て、視線が止まる。
手に取って、離しがたくなる。
理由を言葉にする前に、大切にしたくなる。
そういう品物は、おそらく誰にでもあるはずです。
この「12人の建築家 小さな建築」シリーズも、 そうした出会いを待っているプロダクトだと思います。
これまでにも、選品舎では同シリーズや関連するプロトタイプを扱ってきました。 どれも共通しているのは、単なる器や小物として終わらないことです。
誰かの目に留まり、
誰かの暮らしの中で、静かに意味を持ち始める。
今回の六角鬼丈のカップ&ソーサーも、そのひとつです。
状態について
数回使用された中古品と思われますが、 使用感は非常に少なく、良好な状態です。
目立つ傷や欠けは見られません。
白磁の清潔感と、造形の強さがきちんと残っています。
迎える理由
この品物を選んだ理由は、器としての使いやすさだけではありません。
むしろ重要なのは、六角鬼丈らしい造形感覚が、 きちんと小さなプロダクトの中に残っていることです。
建築家の名前が付いた器ではなく、
建築家の思考が見える器。
そこに価値があります。
これは、カップ&ソーサーというよりも、
手のひらに載る六角鬼丈氏の建築です。
少しでも視線が止まった方には、 その感覚を信じていただいてよい一客だと思います。
日常の中で使う。
棚に置いて眺める。
建築書のそばに置く。
使い道は、迎えた人のものです。
商品について
| 商品名 | 六角鬼丈 カップ&ソーサー |
|---|---|
| シリーズ | 12人の建築家 小さな建築 |
| デザイン | 六角鬼丈 |
| 素材 | 磁器 |
| サイズ | カップ:φ103 × H47mm ソーサー:φ156 × H17mm |
| 状態 | 中古品・良好 |
手に取った瞬間から、
使い道はあなたのものです。










