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記事: 古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

ブログには、ふたつの種類があります。
目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。


港の空に、巨大な魚が跳ね上がる。
フランク・O・ゲーリーが手がけた《フィッシュ・ダンス》は、神戸の街に不意に現れる異国の夢のようだ。
この建築を見上げるたびに思う──神戸という都市は、ただ残すのではなく、巡らせてきた街なのだと。

東京は、日本の文化の中心であり続けている。政治も経済も、情報の発信も、多くは東京を起点として流れていく。
しかし文化の源流を辿れば、京都や神戸といった都市が浮かび上がる。

京都は千年の都として文化財や伝統を抱え込み、「残す」という性格を強く持つ。茶の湯や書、工芸や庭園といった形式美は、保存と継承によって磨かれ続けてきた。
一方で、神戸はその対極に位置している。

港町としての神戸

神戸は港町として発展し、異国の文化を真っ先に受け止めた都市だ。開港以来、欧米の建築やデザイン、生活様式が流入し、独自のモダニズムを育んだ。
西洋家具やインテリア、最新の工業デザインはまず神戸に入り、そこから全国へと広がっていった。

バブル期には、その港町気質がさらに色濃く表れた。豊かさを背景にしたコレクション熱、華やかな暮らしを彩ったモノたちが、今では断捨離の波に押されて手放されつつある。
「残す」京都に対して、神戸は「巡らせる」性格を持つ。

巡り、循環する文化

保存するのではなく、生活の中で取り入れ、時が来れば市場へ流す。
神戸の街にはそうしたリズムが流れている。
それは単なる消費ではなく、文化を更新し続ける姿勢に近い。

この都市では、暮らしとモノの距離が軽やかだ。
高級家具やデザインプロダクトが、長く眠る倉庫ではなく、市場に姿を現しやすい。
つまり神戸は、文化の循環点として機能している。

三十年という時間軸

私は仕入れを考えるとき、変革期とその後三十年という時間軸を重視している。
高度経済成長、バブル、震災、ITバブル──。
いずれも社会に大きな揺らぎを与えた出来事であり、そのときに生み出されたモノは、三十年を経てヴィンテージとしての価値を帯びる。

たとえば1980年代に作られた図録や家具は、すでに市場で新しい評価を受けている。
一度は「古い」と見なされて手放されても、再び脚光を浴び、次の所有者の手に渡る。
神戸の街は、その循環をもっとも色濃く映し出す場であると感じている。

神戸の象徴としての建築

その象徴のひとつが、フランク・O・ゲーリーが手がけた《フィッシュ・ダンス》(1987年竣工)だ。
FRPで作られた巨大な魚のパビリオンは、バブル期の記憶をそのまま形にしたような存在である。
奇抜で、力強く、そしてどこか儚い。
ゲーリーの建築は神戸の港町としての顔を象徴し、この街がいかに文化を取り込み、巡らせてきたかを物語っている。

商いとの接点

古書や家具を扱う私にとって、この循環は単なる観察ではなく、実際の商いに直結している。
市場に流れ出たモノは、一見すればただの「不要品」かもしれない。
しかしその背後には時代の空気が染み込み、三十年を経て「文脈資産」として立ち上がる。

たとえば80年代のデザイン家具や、震災後に再評価された生活道具。
それらは手放された瞬間に終わるのではなく、次の持ち主に渡り、別の物語を紡ぎ始める。
神戸という街は、その「物語の橋渡し」を担う都市だと考えている。

地方都市の沈みと神戸の位置づけ

一方で、地方都市の多くは人口減少や経済停滞のなかで文化を支える力を失いつつある。
骨董や古書の市場は縮小し、商いとして成立しにくい場所も増えている。
その現実を踏まえると、神戸のように文化を巡らせ続ける都市は希少だ。
拠点を探し、資産を積み重ねていくうえで、神戸を無視することはできない。

結び

京都は残し、神戸は巡らせる。
文化の異なるリズムを抱えた二つの都市を対比してみると、日本におけるモノと文化の行方が見えてくる。
その循環のなかで、古書や家具は単なる商品ではなく「時代の痕跡」として姿を変える。

選品舎では、この文脈をもとに仕入れと選定を重ねていく。
神戸は、その鍵を握る都市である。
文化を手放しながらも巡らせ、次の世代に手渡していく──その姿勢が、未来の商いの礎になると信じている。


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