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記事: 古書と家具の仕入れ基準という「見えない道具」|店は何を買ったかでできている

古書と家具の仕入れ基準という「見えない道具」|店は何を買ったかでできている

古書と家具の仕入れ基準という「見えない道具」|店は何を買ったかでできている

「この店らしいですね。」——その一言は、私にとって、とても嬉しい言葉です。けれど、その「らしさ」は、商品の種類で決まるものではありません。もっと見えないところに、それはあります。

「この店らしい」とは何か

「この店らしいですね。」

その一言は、私にとって、とても嬉しい言葉です。

けれど、その「らしさ」は、商品の種類で決まるものではありません。もっと見えないところにあります。

私は、それを基準だと思っています。

店は「何を買ったか」でできている

店は、売ったものでできているように見えます。けれど、本当は違います。

店は、何を買ったかでできています。

どんな本を迎えるのか。どんな家具を見送るのか。いくらまでなら仕入れるのか。利益が出ても手を出さないものは何か。

その積み重ねが、店の表情になります。

家具の基準、本の基準

私は家具が好きでした。幼い頃から家具を眺め、暮らしの中にある形に惹かれてきました。

だから家具のものさしは、誰かに教わったものではありません。長い時間の中で、自然と身体に染み込んでいったものです。

一方で、本は違いました。古書組合へ入り、市場へ通い、少しでも利益になればという気持ちで、一冊ずつ集めてきました。

振り返れば、それは決して格好の良い始まりではありません。生活のためであり、商売のためでした。

けれど、市場へ通ううちに、一つのことへ気づきます。

本は集まっても、基準がなければ、店はできない。

本には「流通してきた時間」がある

古書の市場には、実にさまざまなものが流れてきます。長年大切にされてきた蔵書。遺品整理で手放された本。店で売れ残り、市場へ戻ってきたもの。

古書市場だけではありません。紙の市場を巡り、美術品の市場を巡り、何度も人の手を渡り、ようやく目の前へ現れる本もあります。

一冊の本には、一冊分の歴史だけではなく、流通してきた時間があります。

私は、その長い旅の途中で、本を受け取っています。

高く掴んだ失敗が、基準を育てた

私は東京に店を構えているわけではありません。毎日のように市場へ通える環境でもありません。だから、一回の仕入れが重くなります。

「今回は高く掴んでしまった。」

そんな経験は、一度や二度ではありません。市場では評価された。けれど店では動かない。ようやく売れた頃には、利益はほとんど残っていなかった。そんなことも、何度もありました。

失敗は、できれば避けたいものです。しかし今振り返ると、その失敗こそが、私に基準を教えてくれました。

二つの価格──市場価格と販売価格

市場へ通うようになると、二つの価格を見るようになります。一つは、市場で落札される価格。もう一つは、お客様へ届ける販売価格。

この二つは、似ているようで、まったく違います。市場価格は、その瞬間の需要です。販売価格は、その店が考える価値です。数字は同じではありません。

そして、その差をどう考えるかが、店の個性になります。

だから私は、数字だけを見て仕入れることはありません。数字の向こうにある理由を見るようにしています。

基準は、更新し続けるもの

古書店には、それぞれ歴史があります。どこかの店で修業を積み、師匠から基準を受け継ぐ。それは、とても大切なことです。

しかし、その受け継いだものさしが、時として判断を鈍らせることもあります。

三十年前、一〇〇〇円で買えた本があります。今では三万円が相場になりました。だから一万円で出ていれば、本来は安い買い物です。

それでも、「一万円は高い。」そう感じてしまう。市場は変わりました。けれど、自分の基準だけが、三十年前に残っている。

商売とは、相場を見る仕事ではありません。自分の基準を更新し続ける仕事なのかもしれません。

九月、店を整理する

九月までに、一度、自分の店を整理しようと思っています。

冊数を増やすことを目的にするのではなく、この店として、本当に紹介したいものだけを残す。

それが、これからの私の基準になります。

見えない道具こそ、店の財産

基準は、誰かから借りるものではありません。市場で迷い、失敗し、考え、また市場へ戻る。その繰り返しの中でしか育ちません。

これから、この「物を超えて」という場所では、商品について書くこともあるでしょう。ホテルや建築について書く日もあると思います。AIについて考える日もあるかもしれません。

けれど、どの話も最後には、一つの場所へ戻ってきます。なぜ、その判断になったのか。私は、その要因を書いていきたいと思っています。

商品はいずれ旅立ちます。価格も、相場も変わります。けれど、時間をかけて育てた基準だけは残ります。

そして私は、その見えない道具こそが、店の本当の財産だと考えているのです。


この記事について

本記事は、選品舎/Helvetica を運営する大西健が執筆しています。
ヴィンテージ家具・古書の選品、販売、記録を通じて、
「残るもの/残らないもの」の判断基準を実務の中で整理しています。


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