コレクションとは、集めることではありません。
残ったものを、あとからそう呼ぶだけです。
どれだけ多く集めても、
時間の中で消えていくものは消えていきます。
一方で、意図せず残ったものが、
後年「コレクション」と呼ばれることもあります。
ここでは、集める行為と、残る結果を切り分けながら、
コレクションという言葉の輪郭を整理します。
集めること自体は、価値を生まない
まず前提として、集めるという行為そのものが、
モノの価値を保証するわけではありません。
同じジャンル、同じ年代、同じ価格帯であっても、
評価され続けるものと、そうでないものは分かれます。
違いを生むのは点数でも、希少性の自己申告でもなく、
その集合が、どのような意味を持って語られるかです。
コレクションが評価されるのは、
集めた量ではなく、残した判断です。
なぜ人はコレクションをしたくなるのか
では、ここで語ってきた「コレクション」は、
実際にはどのような“もの”として現れているのか。
選品舎では、
・触れたときの距離感
・置かれたときのサイズ
・思想との近さ/遠さ
という観点から、
「考えすぎずに向き合える入口」をいくつか用意しています。
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コレクションの入口を見る
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人がコレクションをしたくなる理由は、
所有欲や投資意識だけでは説明できません。
そこには、「選び続けたい」「判断を積み重ねたい」
という、人間側の欲求があります。
モノを集めることは、
自分なりの基準を形にする行為でもあります。
だからこそ、コレクションは個人的で、
ときに他人からは理解されにくい。
しかし、その基準が明確であればあるほど、
時間の中で共有される可能性が生まれます。
残るコレクションに共通する条件
時間を超えて残るコレクションには、いくつかの共通点があります。
- 選定基準が一貫している
- なぜそれが選ばれたのか説明できる
- 時代や文脈との関係が読み取れる
- 点数よりも構造が重視されている
重要なのは、集めた理由が語れることです。
語れる理由は、時間が経っても失われません。
コレクションが残るのは、
モノの集合ではなく、判断の履歴が共有されるからです。
集めただけで終わるものの特徴
一方で、時間の中で評価されにくいコレクションにも、
共通した特徴があります。
- 基準が曖昧で、後付けになっている
- 流行や価格のみを根拠にしている
- なぜ集めたのか説明が変わっていく
- 量や網羅性が目的化している
これらは決して否定されるものではありません。
ただ、市場や記録の中で語られ続ける条件からは外れやすい。
「楽しい収集」と「残るコレクション」は、
必ずしも同じ方向を向いていません。
コレクションは「行為」ではなく「結果」である
コレクションは、最初から完成形として存在するものではありません。
選び、迷い、捨て、残し、
その判断が積み重なった結果として、立ち上がります。
だからこそ、良いコレクションは、
後から振り返ったときに初めて輪郭が見えます。
集めたかどうかではなく、
何が残り、なぜ残ったのか。
その問いに耐えられるものだけが、
コレクションとして時間の中に位置づけられます。
もし誰かにこの文章を渡すとしたら、
「集めたいから」ではなく、
「残すという感覚を考えたくなったから」
そう言ってもらえるのが、この文章の役割です。
次に読む
コレクションを「個人の行為」ではなく、
価値の構造として捉えたい場合は、以下の記事が補助線になります。











