
文化服装学院に入学して、アントチェアを歩いて持ち帰った日 ─ 椅子から始まった「選ぶ理由」
アントチェアを抱えて歩いた三時間
知識はあった。けれど「実物を前にして心が動く瞬間」は、いつも知識とは別の場所で起きていた。 青山で出会った一脚を、市ヶ谷まで抱えて帰った三時間は、“選ぶ理由を持つ”という感覚が芽生えた最初の確かな時間だった。
これは家具紹介のカタログではありません。
知識ではなく体験として残った「選ぶ基準」の起点を、短く記録するための記事です。
知識と、心が動く瞬間は別の場所にある
若いころから、家具の名前や背景はある程度わかっていた。
それでも「実物を前にして心が動く瞬間」は、知識とは別の場所で起きていた。
文化服装学院に通っていた頃、家具に対する興味はすでに深かった。
イームズやヤコブセンの設計思想、EMTの構成要素、北欧やミッドセンチュリーの文脈も、
書籍やショップ巡りを通して自然と身体に入っていた時期だった。
最初に部屋へ迎えた、黄色いシェルチェア
最初に部屋へ迎えたのは、黄色いシェルチェア。
その形が持つ張りと、空間に置いたときの静かな緊張感が好きだった。
青山のオーパーツショップで出会ったアントチェア
そして青山のオーパーツショップで出会った、ビーチのアントチェア。
裏カバーが欠けていることには気づいていたが、
「欠けていても佇まいが崩れない椅子」は、当時から見ればまれだった。
経年の色味が、むしろ完成された質感に見えた。
アントチェアを抱えて歩いた三時間
購入した日、私はその脚を軽く握り、青山から市ヶ谷の住まいまで歩いて帰った。
バス停を探したが見つからず、「このまま歩いた方が早い」と判断しただけだ。
無謀というより、軽さと構造を知っていたからこそできた選択だった。
春の空気の中、椅子の脚が腕に当たる感触や、
ビーチの座面が体の動きとわずかに共鳴する感じがいまでも残っている。
三時間の道のりは苦ではなかった。
モノと一緒に歩くこと自体が、どこか楽しかった。
家具を「理解して選ぶ」最初の実感
当時の部屋には、ハーマンミラー社製の白天板コントラクトテーブルもあった。
イームズとヤコブセン。構造も思想も異なるが、空間に並べると不思議と矛盾しない。
その整合性を自分の目で確かめる行為が、何よりの学びだった。
椅子を選ぶとき、人は形だけを見ているようで、
実際には「立ち上がるとき」「引くとき」「向きを変えるとき」の所作まで想像している。
軽さと応答性は、当時から重要視していたポイントだ。
アントチェアの軽さと輪郭の崩れなさは、知識ではなく体験として刻まれた。
それが“選ぶ基準”となり、後の仕事にも静かに作用していく。
十年の時間を経て、いま思うこと
あのアントチェアとは十年ほど暮らした。
手放す時、買値の半分ほどが戻ってきたが、
価値は数字ではなく「十年の間に部屋の中心であり続けたこと」にあった。
もしいま、ひと脚だけ選べと言われても、私はアントチェアを挙げるだろう。
美しさと実用性、その両方が揺らがず成り立っている椅子は多くない。
選ぶ行為は、未来の部屋のかたちをつくる
学生のころ、私は古本屋やインテリアショップ、美術館をよく巡っていた。
知識を増やすためではなく、「置いてみたい」と思えるモノと出会うために。
いま思えば、そうした反復が、目と感覚を育ててくれた。
選ぶ行為とは、未来の部屋のかたちを、少しずつ整えていくことだ。
アントチェアと歩いた三時間は、
“選ぶ理由を持つ”という感覚が芽生えた、最初の確かな時間だった。
この記事について
本記事は、選品舎/Helvetica を運営する大西健が執筆しています。
ヴィンテージ家具・古書の選品、販売、記録を通じて、
「残るもの/残らないもの」の判断基準を実務の中で整理しています。










