商品ページでは、いつも「なぜ選んだのか」を書いています。
けれど実際の選品には、同じだけの「選ばなかったもの」があります。
今日は、その判断について書きます。
選ばない理由は、いつも正しいとは限りません。
金額で降りたことについて
オークションやオンライン取引では、価格が明確な線になります。
私の中には、これ以上は出さないという上限があります。
過去の売買履歴、自分が以前いくらで売ったか。
その経験から引いた線を超えたとき、私は降ります。
ペーター佐藤の原画を購入できる機会がありました。
オークションハウスで価格が上がるたびに、私は途中で手を止めました。
当時の判断は合理的でした。
ただ、時間が経ってから思うのは、
あのとき私は「相場」で判断し、「未来」を切っていたかもしれない、ということです。
今なら、同じ場面で一度は踏みとどまり、
価格ではなく、その先に残るかどうかを考えます。
値引かない姿勢と物の引力
以前の私は、値引きを前提にしませんでした。
相手の提示した価格で、そのまま買う姿勢を取っていました。
失敗もありました。
正直、選ばなくてよかったと思う物もあります。
それでも、不思議と強い品が集まる瞬間があります。
理屈では説明できませんが、現象として確かに存在します。
いまは無条件にそうはしません。
ただ、値引かない姿勢が呼び寄せるものがあることも、否定しきれません。
空間に合わないものは買わない
仕入れの基準を、自宅の空間に置いていた時期があります。
- 置いた姿が想像できないものは買わない
- 空間に違和感があるものは買わない
この基準は厳しく、多くの物を手放す判断でもありました。
その代わり、残った物には迷いがありませんでした。
いまは自宅だけが基準ではありません。
それでも「似合うかどうか」を想像する癖は、今も残っています。
蚤の市では買わない
私は基本的に、蚤の市では買いません。
人が多い場所では、判断が鈍ります。
これは性格ではなく、身体の反応に近い。
熱のある場では、
それが自分の判断なのか、空気なのか分からなくなる。
だから私は、最初から降ります。
判断を守るための、意識的な選ばなさです。
手が伸びないものは触れない
ピンとこないものには、ほとんど触れません。
手が伸びるかどうか。
それが最初で、もっとも正直なフィルターです。
欠けや色あせは理由になりません。
ただ、意図の読めない修理には、手が止まります。
未来を想像できないものは買わない
その後の自分が想像できないものは買いません。
- 使っている姿
- 生活に入り込んだ状態
- 数年後も手元にある感覚
未来が描けないものは、
条件が良くても選びません。
選ばないという判断
私は、選ぶ前に削ります。
残ったものだけが、ここに並びます。
それが、選品です。










