ホテル イル・パラッツォは、日本におけるデザイナーズ・ホテルの先駆けとして1989年に開業。バブル期に数多く企画された「著名外国人建築家の設計による建築」としても知られています。
本記事では、誰が・どこを・どう設計し、いま何が残り、何が更新されたのかを、最短で理解できるように整理します。
さらに、初めて訪れる人でも迷わないように、見る順番/観察の視点/写真の撮りどころまで落とし込みます。
基本情報
- 所在地:福岡県福岡市中央区春吉3-13-1
- 公式サイト
イル・パラッツォを理解する3つの入口
入口1:名前に宿る思想
「イル・パラッツォ」(Il Palazzo)はイタリア語で「宮殿」の意。命名はアルド・ロッシ。
ロゴデザインは田中一光。今回のグランドオープンでもロゴは継承されて使用されます。
入口2:設計の分担で見る
建築全体の基本設計はアルド・ロッシ。インテリア・デザインと共用部を内田繁、客室を三橋いく代がデザインしました。
つまり、「建築の骨格」+「共用部の体験」+「客室の滞在」が、別々の手で組み上げられています。
入口3:1989年のデザイン史として読む
1989年は、80年代デザインを語る上で節目の年です。イル・パラッツォは、デザインが「装飾」ではなく「文化の装置」になり得た時代の熱量を、そのまま建築に封じ込めています。
関わった人物と役割分担(誰が何をデザインしたか)
基本設計:アルド・ロッシ
クロックタワー内部は、唯一のアルド・ロッシが手掛けた内装デザイン。(この部分は当時のまま残っています。)

共用部:内田繁/客室:三橋いく代
体験としてのホテルを成立させる要素(光・素材・動線・居心地)は、主に共用部と客室で決まります。
イル・パラッツォは、この二つを別の思想で成立させ、「緊張(公共)→安堵(私的)」の切り替えを強く体感できる構造になっています。
視覚言語:田中一光(ロゴ)
建築が強いほど、ロゴやサインの設計が軽いと負けます。田中一光のロゴが継承されることは、ホテルのアイデンティティが継続している証拠でもあります。



1989年という文脈:バブル/メンフィス以後/4者共演
開業当時:4人が四隅のバーを手掛けた
開業当時は、アルド・ロッシ、倉俣史朗、ガエターノ・ペッシェ、エットレ・ソットサスの4人が、四隅に設けられたバーのデザインを手掛けました。





メンフィス解散の翌年:なぜ重要か
1989年は、1981年に結成されたデザイナー集団 “メンフィス” が解散した翌年にあたります。中心人物はエットーレ・ソットサス。
イル・パラッツォは、80年代のデザイン運動が熱を帯びたまま、「ホテル」という公共の器に結晶化した例として読みやすい。
補足:関係人物(必要最小限の整理)
メンフィスの主なメンバーには、ミケーレ・デ・ルッキ、マテオ・テュン、マルコ・ザニーニ、アンドレア・ブランジ、アルド・チビック、バルバラ・ラディチェ、マーティン・ベダン、ハビエル・マリスカル。
日本からは倉俣史朗、磯崎新、梅田正徳らも参加。
ガエターノ・ぺシェは1958年から1963年の間にヴェネツィア大学で建築を学び、グルッポNという芸術集団で活動。
アルド・ロッシは1979年のヴェネツィア・ビエンナーレのために『Teatro del Mondo(世界の劇場)』を設計。1990年にプリツカー賞を受賞。
倉俣史朗はソットサスとの出会いがターニングポイントとなった時期でもあります。
80年代末はデザインの文脈を語る上でも重要な年にあたり、4人が歩んできたそれぞれの集大成として共演した、と言っても過言ではありません。
建築の読みどころ:素材・反復・水平と垂直
トラバーチンと銅板庇(表情をつくる材料)
垂直に走る列柱のトラバーチンはイラン産、壁面のトラバーチンは失念しましたが、たしかローマ産。
水平に走る緑色銅板のひさしが、ホテル・イル・パラッツォの整然たる表情を持っています。
観察のポイント(セレンディピティの入口)
- 反復:列柱が作る「規則」が、空間の落ち着きを決める
- 影:素材は“色”ではなく、影の階調で高級に見える
- 時間:銅板の表情は、経年で変化する(建築が時間を取り込む)
ここで「時間」を意識できると、ホテル体験が単なる宿泊から、文化の鑑賞に切り替わります。
関連の思想は、以下の記事とも接続できます:時間がつくる美しさ──経年美化とモノ選びのデザイン哲学
リニューアルの要点:エル・ドラドとDancing Water
運営の変化と再生の協力体制
ホテル・イル・パラッツォは博多ホテルズ(いちご(不動産業)の傘下で2019年3月に設立)の運営に変更となり、内田デザイン研究所の協力のもと2度目のリニューアルで蘇ります。
内田デザイン研究所の活動については、公式ウェブサイトをご覧ください



地下ホール「エル・ドラド」:残す/移す/更新する
今回のリニューアルでは、地下のホールは「エル・ドラド」としてリニューアル。
アルド・ロッシがデザインした同名のバーから内装の一部を移築し、その手前には内田が晩年に手がけたインスタレーション作品「Dancing Water」を設置。
これは、当時の空気をただ復元するのではなく、「意味として継承する」再生だと捉えると理解しやすいです。
客室の魅力:滞在の設計(落ち着きと非日常)
色彩の変化:派手さから「居心地」へ
開業時のビビットな青・赤・緑の色彩は、落ち着いたものへと変化し、居心地のよさと非日常を味わうことができます。
客室の落ち着いた空間は、宿泊者に安らぎを与えてくれるインテリアになっています。
3階の客室
天井高4m:体積で体感する“設計の贅沢”

2階の客室は天井高4Mの空間。20世紀オランダの建築家、デザイナー リートフェルトのレッドアンドブルーチェアの趣きを感じさせるデザイン。(内田繁デザイン研究所 所長談)
デスクと照明と椅子の関係性が美しく纏まっています。

水回りの記憶:扉の存在感とプロダクト
客室の水回りと寝室を間仕切る扉は印象に残るもの。
浴室にはフィリップ・スタルクがデザインした、スツール “プリンス アハ”。

リ・デザインされた家具:内田繁の意思を「続ける」
内田繁の意思を引き継いでリ・デザインされた家具もまた、見るべき価値のあるものです。
制作販売を担うのは、内田繁がデザインした家具やプロダクトの企画・制作販売を行い、「もの」と「デザイン」をつなぐ新しい生活文化を築くことを目指してスタートした霞工房。
内田繁さんのデザインした家具のご注文もヴィンテージ家具販売Helveticaでは受け付けています。
内田繁デザインの家具に関するご相談・ご注文は、こちらからお問い合わせください


廊下・バルコニー:反復が“ホテルらしさ”を作る
廊下の天井は開業時同様に格子模様の灯りでライトアップされていてデザイナーズホテルらしい佇まい。

2階フロアのバルコニー。椅子は1985年に内田繁さんがデザインした “ Feb ” をリ・デザインしたもの。

インテリアデザイナー内田繁さんが1989年、福岡のホテル「イル・パラッツォ」のためにデザインした時計「ディアモリス」。

アルド・ロッシのドローイングがペイントされた鏡は、各フロアでデザインが異なるそうです。

訪問ガイド:見る順番/撮る視点/観察チェック
見る順番(迷わない導線)
- 外観:緑色銅板の庇(水平)×列柱(垂直)
- 共用部:素材の反射と影の階調
- 地下:エル・ドラド(移築)+Dancing Water(更新)
- 客室:滞在の静けさ(色彩と体積)
- 廊下・バルコニー:反復(格子照明/椅子)
- フロア:鏡のドローイング違いを探す
撮る視点(“それっぽい写真”で終わらせない)
- 遠景:外観の規則性が分かる距離
- 中景:列柱の影が出る角度(素材感が立つ)
- 近景:時計・鏡・照明(設計思想が宿る小物)
- 室内:デスク・照明・椅子の関係(配置の美)
観察チェック(セレンディピティを拾う質問)
- このホテルは「派手さ」より「秩序」で魅せているか?
- 残された要素は“復元”ではなく“継承”になっているか?
- 時間(経年)を味方にする素材が、どこにあるか?
関連:販売中のアルド・ロッシ/内田繁プロダクト
販売中アイテム(参考)

希少なアイテムなど詳細URL:https://x.gd/EfIC5
まとめ:建築が残ること=文化が残ること
永井敬二氏の言葉が示す「場の力」

プレビューに参加された、日本を代表するインテリアデザイナーの1人 永井敬二氏曰く、
「パーティーはまるで世界の中心都市ニューヨークのようだったよ。」
永井敬二さんについて:
チェアマニアに捧ぐ!永井敬二さんの「椅子コレクターの半世紀」
永井敬二コレクション BRAUN AUDIO展 -良いデザインの原理原則-
都市の更新と、文化の継承
福岡都市部は、警固断層等のリスクもあるなか、更新期を迎えたビルが耐震性の高い先進的なビルなどへ、天神ビッグバンという大きなプロジェクトのもと建て替わっています。
日本全体でいえることですが、建物が消えるということは文化を喪失することと同義です。
街の景観が更地に変わり新陳代謝していく様は、決して嫌いではありませんが、イル・パラッツォの価値は決して小さいものではありません。
結論:一泊の選択が、文化への参加になる
ステータスのあるホテルもよいですが、1泊はデザイナーズホテルを選択してみる。
それも大人の嗜みだと感じます。
おすすめ記事(時間・記憶・経年価値の接続)
イル・パラッツォを「体験」で終わらせず、判断軸として残すために。
“時間が価値を作る”というテーマで、暮らしの選択を一段深くします。











