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カート

カートが空です

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方
モノを超えて

古都と港町──神戸にみる文化の循環とデザインの行方

港の空に、巨大な魚が跳ね上がる。フランク・O・ゲーリーが手がけた《フィッシュ・ダンス》は、神戸の街に不意に現れる異国の夢のようだ。その建築を見上げるたびに思う──神戸という都市は、ただ残すのではなく、巡らせてきた街なのだと。 東京は、日本の文化の中心であり続けている。政治も経済も、情報の発信も、多くは東京を起点として流れていく。しかし文化の源流を辿れば、京都や神戸といった都市が浮かび上がる。...

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図録という梯子|バブル期の残像と、ページを渡る楽しみ
モノを超えて

図録という梯子|バブル期の残像と、ページを渡る楽しみ

選品手帖|選ぶ理由があるモノたちへ モノを超えて|静けさと、商いの記録 図録とは何か 図録は、美術館や博物館の展覧会内容を記録した出版物です。作品写真や解説、年表などがまとめられ、来場者のお土産や研究資料としても使われてきました。展覧会を訪れた観客の一割ほどが手にするとも言われ、体験を持ち帰るための確かな媒体です。 図録の歴史 ― バブル期に花開いた印刷文化 図録は、1980...

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雑誌を売るという、ささやかな営みについて
残るものを選ぶ

雑誌を売るという、ささやかな営みについて

ブログには、ふたつの種類があります。目的や気分にあわせて、お好きなほうをお選びください。 選品手帖 | 選ぶ理由があるモノたちへ  モノを超えて | 静けさと、商いの記録 コンビニで立ち読みをしなくなって、もう20年以上が経つ。最近ふと立ち寄った際に、久しぶりに雑誌コーナーを見た。 かつてのあの密度はもうなく、棚そのものが小さくなっていたのは前から知っていたが、手に取った雑誌が、...

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紙片に残る、誰かの時間 ― 福岡でエフェメラを引き継ぐということ
物に語らせる

紙片に残る、誰かの時間 ― 福岡でエフェメラを引き継ぐということ

紙ものと、記憶について 綴じられていないものには、かえって強い物語があります。展覧会のパンフレット、映画のフライヤー、旅先の案内。誰かが手に取り、どこかで過ごした時間の跡。 そうした紙片を、「紙もの」や「エフェメラ」と呼びます。印刷された瞬間から時を刻み、誰かの手を離れたあとも、まだ記憶を帯びている──わたしたちは、そんな紙片たちも丁寧に引き継いでいます。 エフェメラという呼び名 本に比べ...

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